
「心気妄想」というのは、病気でもないのに「自分は病気で間もなく死ぬだろう」と思い込むことを言います。医療機関で精密検査を受けて、「異常なし」と言われても、とても信用がなりません。「自分の体の異常所見を見落とされてしまったのではないか」と、さらに不安になり、また別の医療機関を受診する・・・を繰り返してしまう、病的状態を言います。
私自身は心気妄想ではないと願っておりますが、最近、「がんだったらどうしよう」と思うことがたびたびあって、さらに、「がんだったらどうしよう」と気に病むことで、そのことで新たにがんが発生するかもしれないとまで思い詰め、不安が増長していく様子です。
ヒトは40歳を過ぎるとがんに罹患する危険性は誰でも増加し、結果的に、私たち日本人は2人に1人はがんで命を落とすことになっています。驚かれるかもしれませんが、私も40歳を過ぎていますので、がんに対して警戒しなければなりません。まして田代家は代々がんの家系で、父親も胃がんで亡くなっています。
「がんは早期発見により、克服できる場合も多いのだから、40歳を過ぎたら毎年健康診断を受けましょう」というのはよく言われることで、私が仕事でちょくちょくいく鴻巣市の保健センターの壁にも、折々に色々な趣向を凝らしたポスターが貼られていて、手を変え品を変え、健康診断の受診を勧奨しています。
でも私にしてみれば、自分ががんだとわかったらこわいので、健康診断を受けるのも、こわい。無論日々の診療では、あやしいと思えば、いやがる患者さんにも有無を言わさず、病院へ紹介状を書いて、半ば強引に検査を受けていただいています。それで命拾いをされた患者さんも少なくありません。しかし自分自身のことはと言えば、なかなかそういうわけにはいきにくいのです。
まして私は、昨日今日に「健診にいかなければならない」と思ったのとはわけが違います。十年も二十年も、「健康診断にいかなければいけないのだが」と思い続けてきたという、もはや「筋金入り」の域に達しています。「今さら健康診断に行ってがんが発見されたとしても、病勢はよほど進行しており、既に手遅れに違いない」といった観念が、黒い霧のように私の心を覆ってしまっています。
たとえば「昨年の健診では異常なしだった」といった事実があるなら、仮に今年異常が見つかったとしても、それは「早期発見」と言えますから、もちろん手の施しようはありますし、大半の方はそれで命を落とされることにはなりません。私が健康診断を受けるに当たって感じるプレッシャーは、毎年健康診断を受けている方のプレッシャーの比ではないということです。まあだから健康診断は毎年受けることに意義があるわけです。