お知らせ

2021年8月25日(水)

準備中

怒る・怒られる、というのは好ましいことではないと受け止められるようになってきたように思います。確かに社会生活の中で、怒ったり怒られたりすることで、ものごとがよりよい方向に進むことになるのかというと、それはだいぶ心もとないように思えます。
学校でも体罰はもちろん、強い「叱責」というのも、行わないようになっています。児童生徒が「心的外傷」を負う恐れがあるからです。しかし、私は弟子に対して、できるだけ怒るようにしています。どうかすると私の弟子は怒られるのが仕事のようなことになります。
このように弟子に厳しい態度で向き合うことが長くなると、「事前に怒る」ことが出来るようになります。医学の言葉で「予期不安」というのがあります。「また、発作が起こるのではないかと強い不安に襲われる」ことです。それと同じように、私は何もないのに<怒り心頭に発す>状態になることができます。
・・・今日もどうせ遅刻してくるんだろう。遅刻してきても、遅刻したことに気づかない顔をして。「あれ、3分遅刻でしたか?それはすみません。」なんて言うんだろう。分かっていたくせに。遅れるのは仕方ないにしても、どうして事前に連絡をしないのだ。・・・あれ、衣装も持ってきていない。今日は衣装を持ってこいと言っただろう!・・・
こんな風に考えつめていくと、私は朝からひどく機嫌が悪くなったりすることがあるのです。そうなってくると、いざ弟子が時間通りにやってきて、元気よく「おはようございます」と言っても、私はそう簡単にコワイ顔を崩すことができないことになります。